No.7 麹米を造る(前編)
普通酒の麹造りにも蔵の姿勢が貫かれている
「そろそろ上がってくるね」。
朝8時半過ぎ、3つある蔵の1号蔵と呼ばれている蔵の麹室です。「そろそろ…」と蔵人が言ったのは、蒸米が麹室に上がってくるね。という意味です。この麹室では普通酒に使用する麹を造っています。
連続蒸米機は1階にありますが、麹室があるのは2階ですから、連続蒸米機を出て放冷機で適温に冷却された蒸米は、リフトで2階に運ばれてくるのです。
リフトから麹室までは20メートルぐらい離れていて、その間は、スチールの円筒を何十本も並べたローラーコンベアー搬送機で結ばれています。そのスチールの円筒がシャーッという音を立てて、いっせいに回転を始めています。
蒸米は布に包まれて容器に入り、1階でリフトに乗せられ、2階に上がると、自動的にドシンと搬送機に乗り、カラカラと音を立てながら搬送機の上を移動して、最後に2人の蔵人が抱えおろして、麹室に運び込みます。
この作業は麹室を担当している蔵人のほかに、酒母室の蔵人も手伝います。それぞれの蔵人はすぐに見分けがつきます。服装が違うからです。40度を超える室温の麹室で働く蔵人は青い半ズボン。室温10度以下の酒母室の蔵人は薄緑色の長ズボンだからです。
八海醸造で造っている酒の種類は、普通酒、本醸造酒、吟醸酒、純米吟醸酒、大吟醸酒の5種類です。酒造業界では普通酒以外の酒は特定名称酒と呼ばれ、それぞれ使用原料や精米歩合などの製造条件、香味等の条件が定められていますが、普通酒は原料玄米をはじめ、精米歩合や香味等の条件について、とくに定められていません。
このため、普通酒はレギュラー酒とも呼ばれていて、価格も安く出来るのです。酒蔵の麹造りを紹介するのなら、もっとも手がかかる大吟醸酒の麹造りを紹介するのが普通なのかもしれません。
しかし、この連載ではあえて普通酒の麹造りをまず取り上げることにします。そのほうが蔵の酒造りに対する姿勢や考え方をよくわかってもらえるのではないかと思うからです。もちろん、大吟醸酒についても、その後で紹介するつもりです。
暑い麹室で蒸米を丁寧にほぐす
さて、麹室には次々に蒸米が運び込まれて、大きな揉み床の上に広げられていきます。揉み床は木で出来ていて、長方形の大きな机のような形をしています。揉み床の上には白い布がかけられています。この白い布の上に蒸米を広げ、待ち構えていた蔵人がどんどん手を入れていきます。
いま、麹室の室温は43度、湿度は34%になっています。むっとするような暑さです。蒸米を2階に上げるリフトが動き出す直前の室温は31度でしたが、電熱器や温風機で急速にこの温度まで上げたのです。大体43~50度くらいまで上げるのですが、これほど暑くするのは麹米の温度を下げすぎないようにすることと、蒸米を早く乾燥させるためです。
揉み床は2つ並んでいます。どちらも計量機がついていて、蒸米の重さがわかるようになっています。それぞれの重さは、いま、400キロ近くになっています。合わせて700キロを超える量の蒸米です。それを蔵人の手で丁寧にほぐし、上下の温度差や乾燥度を均一にしていくのです。ほぐし終わった蒸米はネル布と布団で包んで、目標の品温と水分量になるのを待ちます。
午後2時頃、いよいよ麹の種付けの時間です。蒸米の品温は35.8度、米粒は手を入れてもほとんど手につかないほど乾燥しています。
まず、手入れをして蒸米を広げた後、2人の蔵人が揉み床の左右に並び、それぞれ種麹が入った缶を持った手を高く上げて、揉み床に沿って移動しながら缶を振り、麹の胞子(種)をまいていきます。2人がカラカラと缶を振りながら移動するにつれて、緑色の胞子が薄いモヤのようになって、白い蒸米の上に舞い落ちていきます。
缶の中に入っている種麹は、米粒にびっしりと麹菌をつけたものです。缶の底は網になっていますから、缶を振れば麹の胞子だけが網目を通って落ちていくわけです。簡単な仕事のように見えますが、これはちょっとしたコツがいるのです。缶の高さをどのくらいのところに保つか、どれぐらいの強さで振るかなどで、胞子の落ち方が違ってきます。
この麹室では、1回種麹をまいた後、蒸米の上下を返して揉み、その後、もう一度、種麹をまいて、さらに蒸米の上下を返して、最後にまた種麹をまいて、一応、麹の種付けは終わります。このとき、蒸米1粒当たり500個の胞子が付く程度に種麹の量を決めます。この作業を隣の揉み床でも繰り返します。最後にもう一回、2つの揉み床の蒸米に手を入れます。
すでに麹菌がついた蒸米を揉み床の中央に寄せ、その山に左右から手を入れていくのです。いや、麹菌は米粒についた瞬間から成長を始めていますから、もう蒸米ではなくて麹米です。
蔵人は麹米を抱え込むようにして両手で引き寄せ、白い布の上にゴシゴシと押し広げるようにして揉んでいきます。腰を入れ、上半身を揉み床の上に折り曲げるようにして揉むのです。骨の折れる作業です。麹室の中にゴシゴシという音が響き、そこに大きな扇風機のブーンという音が混じります。室温は36度です。
種麹をまいた後の手入れも丁寧に行なわれます。これから、麹菌がどんなふうに成長していくか。それが手入れ次第で大きく変わってくるからです。蔵人はそれを「麹は盛りで決まる」と言うほどで、これも非常に重要な作業なのです。
手入れが終わった揉み床の麹は、いったん清潔なネル布と布団で包み、しばらく置いておきます。前日に種まきをした麹米、さらにその前に種まきした麹米の作業があるからです。
記 1999年 井出耕也[フリージャーナリスト]
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