八海山のこだわり

No.6 蔵に流れる時間

昔は蒸米を桶に入れ、肩にかついで運んだ。現在はリフトを使用する。

酒蔵の中では合理性や効率だけでは物事は動かない

酒蔵では時間さえも味わいがあるようだ。外の世界の無味乾燥な時間とはちょっと違う時間。機械の時間ではなくて、人間の時間。そんな時間がゆっくりと、しかし、確実に時を刻んでいるのだ。
たとえば、いままでは100のものを製造するのに1時間かかっていたのが、新しい機械が開発されて、同じ量 を10分で製造できるようになったとしたら、誰でもできるだけ早く新しい機械を導入したいと考えるだろう。また、それが合理性であり、効率というものであるだろう。
だが、酒蔵のゆったりとした時間の中では、その種の合理性や効率だけでは物事は動かないのである。二郎社長は言う。
「以前は真冬でも米を研ぐのは素手でやっていました。これが辛いんですよ。手が氷のように冷たくなってじんじんしてくる。それで今は手袋を使ってもいいということになりましたが、そうなるまでに何年もかかりました。今は匂いが移らない手袋もあるし、少しは冷たさもまぎれるから、すぐに使ってもよさそうなものなのに、どういうわけか、たったそれだけのことが決まるのに何年もかかった」

新技術にすぐに飛びつかない。悩みでもあり誇りでもある

「蒸米でも同じようなことがありました。放冷場は蔵の二階にあるから、昔は蒸米を入れた桶を肩にかついで運び上げていた。そこで、リフトを使おうという話になったが、これも実現したのは何年か後でした。蒸米を肩にかついで二階にあげるか、機械であげるか。それだけの違いだから、造る酒の品質に影響があるとは思えないのに、それだけの時間がかかる。うちの蔵は保守的というか、新しいことをやろうとしても、明日からというわけにはいかないところがあるんですよ。とにかく新しい、今までとは違うというだけで、抵抗がある。それが私の悩みでもあるし、また、誇りでもあるんですけどね」
誇り?
「そうですよ。酒造りの技術は長い歴史の中で磨かれてきたものです。ささいなしきたりであっても、必ず歴史的な背景があると思ったほうがいいのです。米を洗うのに素手で洗うか、手袋をした手で洗うか。また、蒸米を放冷場に上げるのに、肩にかついで運び上げるか、リフトで上げるか。たったそれだけのことでも、じっくりと考えてからでないと動かないというのは、いいことだと考えたいですね。蔵にはそういうところも必要だと思います。新しいからといってすぐに飛びつかない。これは大事なことですよ」
とは言え、すべてが昔ながらというわけではないのである。二郎社長が言っているのは酒蔵の心のことだ。その心をしっかり持ちながらも、新たな酒造技術を取り入れてきているのである。

コンピュータ制御の精米機が精白度を飛躍的にアップさせた

精米ひとつとっても、以前とは大きく違ってきている。コンピュータ制御の精米機によって米の精白度を飛躍的にあげることが可能になったのだ。精米の協同化も実現し、八海山を含む南魚沼郡の四つの酒蔵が協同精米を行っている。大吟醸酒で使われている米の精白度は40%だが、これもコンピュータ制御の精米機の出現がなかったら不可能なことだった。30俵(1800kg)の米を63時間程度で精白してしまうのだ。
南魚沼郡で協同精米が始まったのは昭和42年のことだった。まだコンピュータ制御の精米機が登場する前で、5俵の米を50%で精白しようとしたら、当時の精米機では人間がつきっきりで三昼夜かかった。
酒米用の精米機は、金剛ロールに米を押し付けて米を研いでいく。高精白にしようとすれば時間がかかるわけだが、だからと言って急ぎすぎれば、ロールに押し付けられている米の温度が上がってしまい、やがて乾燥しすぎた米粒が胴割れを起こしす。こういう米ではいい酒ができない。だから時間がかかるのである。
その一方で、人間は機械ではないのだから、三昼夜、交替しながら精米機を動かし続けなくてはならない。そうなると、人手がかかる。そこで、それまでの2倍の米を処理できる高精白用の精米機が市販されたのを機会に、協同精米所が設立された。
協同精米所では、当初、精米機3台で合計1万俵(1俵60kg)の米を処理していたが、その後、昭和62年、コンピュータ制御の精米機が導入されるとともに台数も増え、現在は4万俵の米を処理している。コンピュータ制御の精米機を導入で、人手もかからなくなった。八海山もこの協同精米所を利用しているが、それとは別 に、自前の精米機を6台入れている。そのうち1台は最新の高性能機である。

昔の精米は経験とカンが頼り

コンピュータ制御で高精白が可能に。

コンピュータ制御の精米機は、米粒の温度の上昇をセンサーで見張り、温度の変化に合わせて精米のスピードを制御していくから、昔ならとても不可能だった高精白が可能になった。今では35%精白も実現している。
協同精米所の責任者は棚村公一さんである。棚村さんは66歳。父親の棚村今朝吉さん(故人)の代から、地元で農業をしながら、八海山で精米を担当してきた。
「胴割れさせるなと昔はやかましく言われたものだよ。だけど、米の状態はその年によって違うからね。今年の米はやっこい(柔らかい)から、なるべく時間をかけてやってくれとか注文されたりして、精米には気を使ったもんだよ。精米機の中はロールに米を押しつけるようになっているんだが、どのぐらいの力で押しつけるかは錘で調節した。それも経験とカンが頼りだったからね」(棚村公一さん)

連続蒸米機が登場。「釜を割れば一人前」と言われたのも今は昔

酒造りにはその他いろいろな機械が使われているが、その中でも、もっとも機械化の効果 が著しかったものの1つが精米機なのである。また、連続蒸米機によって均質に米を蒸すことも可能になった。連続蒸米機が登場する前は、大きな釜で米を蒸していたが、釜ではどうしても下のほうの米は蒸しすぎになりがちだった。また、どうかすると、釜が熱で割れることもあった。いい蒸米を造るためには高温の蒸気がほしい。そのため、どんどん火を炊く。だが、炊きすぎると釜が割れてしまう。
ずっと前のことだが、ある時、八海山の蔵の釜が割れてしまった。南雲会長が自らトラックのハンドルを握って、メーカーへ走ったことがある。釜が割れてしまえば、米を蒸すことが出来ない。新しい釜が届くをのんびり待っているわけにはいかないのだ。
「でも俺は怒らなかったよ。むしろ、釜を割った人間を誉めた。よくやったと」(南雲会長)
酒蔵では昔から「釜を割れば一人前」と言われてきた。釜が割れるくらいの高温の蒸気でないと良い酒を造るのに適した蒸米が出来ないという意味で、これが出せるようになれば一人前だということだ。しかし、今は、昔ながらの釜で米を蒸すのは大吟醸酒などで使う米で、その他は連続蒸米機で、釜が割れる心配をしなくても、いい状態の蒸米ができるようになった。

一見些細にみえるこだわりが、蔵の隠し味

酒蔵では洗い仕事はたくさんある。桶やタンク、道具は、使えば必ず洗う。それも昔は冷たい水で行なっていたが、今は熱いお湯が使えるようになっているから、仕込みタンクもお湯で洗えるし、タンクの中に入る時はきれいに殺菌した長靴を履くのも構わない。
だが、昔堅気の蔵人の中には、お湯や長靴を使うのを嫌う人もいる。
「タンクに長靴で入るなんてとんでもないことだ。洗う時は素手素足、それに水。これでなかったら、洗ったことにならないさ。俺はそう思う」
厳しい顔でそう言うのだ。このこだわりが蔵の隠し味なのである。

※文中に出てくる肩書き、年齢は当時のものです。

記 1998年  井出耕也[インターネット・パイロット]

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