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酒米・五百万石を守るため、農民の手による酒造りを提唱した、津南農協の村山組合長。1990年、ジュネーブのガット本部前で。

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新潟と長野の県境に津南(つなん)という町がある。新潟県中魚沼郡津南町。豪雪地帯である。真冬の積雪は3メートルに達することもある。根雪期間は平均140日にもなる。この町は酒米として有名な五百万石の産地としても知られている。
酒造りに適した米を酒米または酒造好適米という。酒米は各地にお国自慢の銘柄米がある。新潟では五百万石である。その五百万石の種もみ生産をほとんど一手に引き受けているのが津南町だ。五百万石は新潟県内の各地で作られているが、種もみは津南町生まれなのである。
酒米という特別な米がなぜ必要なのか。食べておいしい米が酒造りに向いているとは限らないからだ。仕込みタンクの中ではふたつの発酵が同時に進行する。麹がお米の澱粉質を糖化し、糖化された澱粉質を酵母がアルコールに変えていくという二つの発酵だ。並行複発酵と言われる巧妙な発酵法である。並行複発酵でつくられるお酒は、世界でも日本酒以外にはあまり例がない。それが日本酒の独特の味わいを生んでいるのである。
ところが、お米に含まれている成分は澱粉質だけではない。蛋白質や脂肪も含まれているのだが、蛋白質や脂肪は酒造りでは、邪魔になることが多い。蛋白質や脂肪をうまく減らしてやらないと、お酒に雑味が残りやすくなってしまうからだ。
そこで、いい酒をつくるためには、原料となるお米の蛋白質や脂肪を減らしたいということになるが、食用米では蛋白質や脂肪と澱粉質がはっきり別れて分布しているわけではないから、都合よく澱粉質だけを残すのは難しい。
酒米も一般米(飯米)も、その外側に蛋白質や脂肪が多いところがあるから、米の外側の部分を削っていけば、澱粉質の多い部分だけを残すことができる。だから「いい酒をつくりたかったら、まず、米を白くしろ(精米歩合を高くしろ)」と言われているのだ。
この澱粉質が集まって白くなったところが心白(しんぱく)と言われる部分で、食用米と酒米を外見で見分けるとしたら、心白があるかどうか見ればいい。食用米では心白が存在しないから簡単に見分けることができる。
その五百万石の産地、津南町農協の村山正司組合長は言う。
「津南で育った五百万石は心白が大きくてはっきりしている。粒も大きい。それには津南の自然条件が大きく影響している。ここの水田は標高300メートル前後のところが多いから、昼夜の寒暖の差が大きいんです。だから、心白の出がいいんですよ」

津南の五百万石を生んだのは壮大な自然の営みだ

津南は河岸段丘の町でもある。新潟と長野を結ぶ信濃川とその支流が大昔に大地を削って、流域に壮大なスケールの階段状の地形を残した。中でも、津南の河岸段丘は段丘面の大きさや段丘崖の高さ、九段を数える段数などで日本最大規模と言われている。段丘は豊富な湧水にも恵まれ、竜ヶ窪の湧水は日量4万3000トンという水量を誇り、水質もよく、日本名水百選に選ばれている。
では、その水はどこからやって来るのか。
「段丘の上は標高2145メートルの苗場山を親分にして山また山が続く。この山に降る雪の量はどれぐらいあるかわかるかね。それはそれは凄い量だ。その雪が、春になると解けだして、山に染み込んでいって、何十年後か何百年後に段丘のあちこちから、とうとうと湧き出してくるんだよ」
地元の人はそう信じているし、また、それは間違いではあるまい。
津南の1万年ほど前の古い地層からは、その頃、この地に住んでいた人々が使っていた石器が出てくる。縄文時代よりも古い時代に、この地に暮らした人々の痕跡だ。だが、河岸段丘ができたのは、石器時代よりもさらに前のことになる。
はるか昔に刻み込まれた広大な段丘。それから、雪、山、水、年月。壮大なスケールの自然の営みが、津南の五百万石を生んだとも言える。

酒造りの軸となる酒米を食用米が手伝う

ところで、酒造りには酒米が欠かせないと書いた。では、食用米はまったく必要がないのかというと、そうもいかないのが酒造りの難しいところだ。
酒米が欠かせないのは、とくに麹をつくる時なのである。
酒米は精米された後、適度に水分を吸わせた上で蒸米にして、いったん適当な温度まで冷ましてから、種麹をつけられて麹になる。その時、酒米のほうが麹菌の育ちがいいのである。澱粉質を多く残した部分に心白を有する酒米は、麹カビが米粒の中心まで入り込みやすく、いい麹ができるからだ。しかし、その後は、少し話が違ってくる。
麹つくりとは別に酒母つくりも進められる。酒母は蒸米と水に麹と酵母を加えて造られた、大量の酵母菌を含んだ状態のものだ。これを仕込みタンクに移し、蒸米と麹、水を加えてもろみをつくる。もろみの中では並行複発酵が盛んに行われて酒がつくられていく。そし て、最後に、このもろみを搾って酒と酒粕と分離するのである。
仕込みタンクのもろみに蒸米と麹、水を加えていく作業は、間隔を置いて、三回に分けて行うのが普通だ。これが三段仕込みと言われるつくり方で、最初の仕込みは初添え、二回目が中添え、最後は留添えと言う。この時に使う蒸米は掛米と言われ、掛米は食用米が使われることが多い。仕込みの時の掛米は、麹をつくる時ほど心白の有無に神経質にならないでもいいからだ。もうひとつにはコストの関係もある。
たとえば、新潟県内の酒蔵がどんな米をどのくらい使っているか見ると、それがよくわかる。県内の酒蔵が年間に使っている米は全部で約62万5000俵(1俵60キロ)。そのうち、酒造好適米は40%、好適米以外の米は60%となっている。酒造好適米の比率はかなり高いと言える(いずれも平成9年酒造年度)。また、酒造好適米の40%のうち、36%までが新潟県内産で、なかでも圧倒的に多いのは五百万石だ。
ただし、好適米以外の米も新潟県産がほとんどで、ゆきの精、トドロキワセ、越路早生、新潟早生などが多く使われている。
酒米と食用米。この二つの米の役割を一口で言えば、酒造りの軸になるのは酒米で、掛米がそれを手伝うという関係になる。酒造りに使う米は酒米ばかりではないが、軸になる酒米がしっかりしていないと、いい酒をつくることは難しいのである。

「五百万石は守り続けないといけない」

八海山の酒蔵も津南の五百万石を高く評価してきた。ところが、最近、津南で育てられる五百万石の将来の生産量に、不安が頭をもたげ始めているのである。
種もみとは別に津南町で生産される五百万石そのものは、10年ほど前は2万5000俵あったが、今はやっと2000俵というところまで激減している。新潟県内の五百万石の生産は需要を満たすだけの量は確保されているが、その中で、津南の五百万石の生産量が落ち込んでいるのだ。
原因ははっきりしている。五百万石を生産していた農家が、五百万石の作付けを減らして、かわりにコシヒカリの作付けを増やしたからだ。その勢いはそれこそ雪崩れを打つようなすさまじいものだった。10年前の2万5000俵が2000俵にまで減ったのは5年前のことで、あとは横ばいという状態だ。2万5000俵が2000俵へと十二分の一に減るまで5年しかかからなかったことになる。
生産農家の立場で考えれば、それは当然とも言える転換だった。魚沼産コシヒカリはいまや食用米のトップブランドである。魚沼産コシヒカリと五百万石の価格差は、1俵あたり1万円近くにもなる。コシヒカリのほうが圧倒的に高いのだ。これではコシヒカリの作付けが増えるはずだ。むしろ、それでも2000俵の五百万石が生産されていることのほうが不思議なほどだ。
コシヒカリで農家の収入が増えるのだから、津南産のすぐれた性質を持つ五百万石が減るのは致し方ないことかもしれない。農家は趣味で農業をしているわけではないのだから。と、誰もがそう思うだろう。
だが、この状況に強い不安を感じた人がいた。それが津南農協の村山組合長だった。
「コシヒカリは確かに人気が高い。しかし、コシヒカリ一辺倒というのは危険だと思う。もっとおいしい米をつくろうと、品種改良が日本中で行われているんですよ。いつ、新しい品種が出てきても不思議ではないんです。その時に備えて、津南の自然条件を最大限に生かせる五百万石は守り続けないといけない」と村山組合長は言う。
村山組合長は津南町長や新潟県農協中央会会長などを歴任し、行動派として知られている。
大正5年(1916年)生まれの82歳。今でも自ら車を運転するが、そのハンドルさばきはとても82歳には見えない。
町長時代には、前例がなければ新しい前例をつくり、前例が間違っていると思えば、前例を破るのに躊躇しなかった。
たとえば、段丘の上の集落の冬季の交通を確保するため、県の反対を押しきって崖を切り崩して道路をつくり、また、厚生省が大規模年金保養地の建設を計画していると聞くと、「豪雪地帯にリゾート施設などつくれない」と渋る国を「雪があるからこそ通年利用が可能だ」と説得して、グリーンピア津南の誘致に成功している。その他、前例破りはまだまだ沢山ある。
平成2年(1990年)には、米の輸入自由化阻止のため、日本からの抗議団を率いて、ウルグアイ・ラウンドの閣僚交渉が開かれていたベルギーのブリュッセルに乗り込み、ムシロ旗を押し立てて行進した。

農民自ら酒造りに乗り出す

その村山組合長が津南の五百万石を守るために打った手も、前例破りの行動派らしい果敢なものだった。農民自らによる酒造りに乗り出したのである。
コシヒカリと五百万石の価格差はいかんともしがたい。しかし、農民が自ら出資して、五百万石で酒をつくれば、その収益でコシヒカリとの価格差を埋めることもできるだろうし、五百万石の生産を守ることもできる。そう考えたのである。
また、自ら酒をつくれば、酒蔵がどんな米を欲しいのかよくわかり、さらに質のいい五百万石をつくるためにも役に立つ。
酒米では山田錦も有名だ。とくに兵庫の三木農協管内で作られる山田錦は有名で、吟醸用の酒米として人気が高い。八海山の酒蔵でも、もちろん、毎年、三木の山田錦を確保して、吟醸酒造りに生かしている。この三木農協の山田錦つくりにかける意気込みもすごい。品質を維持するため、農協が生育状況を調査した上で、田んぼごとに収穫に最適な日を指定しているほどだ。
津南の五百万石はまだ三木の山田錦ほどの評価は得ていない。山田錦は酒米のトップブランド。酒米の魚沼産コシヒカリである。津南の五百万石は潜在的なブランド力には絶対的な自信を持っているが、ブランド力を云々する前に、まず、生産を守らなければならない状況に追い込まれていたのである。
村山組合長は酒蔵つくりに奔走した。
「大蔵省は過去100年間、新しい酒蔵に酒造免許を与えていない。また、酒米をつくっている農民が酒造りをするなどということは全国的にも例がない。しかし、これは100年の大計だ。何としても成功させないといけない」と説いてまわった。
その結果、酒造免許の問題は、高田税務署管内の酒蔵のひとつが酒造をやめていたため、その酒蔵を会社ごと買い取ることでクリアする見通しがつき、平成8年(1996年)、資本金2億円で新発足の酒蔵、小松原醸造が第一歩を踏み出す。
2億円の資本金のうち1億円は五百万石の生産農家を中心に200人が出資、残りは津南町農協と津南町がそれぞれ5000万円負担した。そして、ブナと杉の林を切り開き、総工費12億円で最新設備を盛り込んだ酒蔵を建設して、平成9年(1997年)3月から酒造りを開始した。12億円のうち4億5000万円は農林省のウルグアイ・ラウンド対策費の補助を受けている。

何よりも愛着がある五百万石をつくりつづける

小松原醸造の年間生産量は700石程度。まだまだわずかなものだ。生産、販売とも、本格化するにはもう少し時間がかかりそうである。しかし、酒については早くも一部で高い評価を受けている。ブランド名は「霧の塔」である。
この名前は苗場山に連なる峰からとった。峰に沿って霧が湧きあがると、まるで霧の塔のように見えることから、そんな名前がついた。「小松原」のほうは酒蔵の上のほうにある小松原湿原からとった。「霧の塔」が目指すのは「コクとキレがあり、飲み心地よく、酔い心地がいい酒」だ。
小松原醸造の出資者の一人、で五百万石生産農家の富沢真一さん(71歳)は、「酒の味がどうなるか。それが心配だったが、いい杜氏さんが来てくれて、なかなかいい酒になった。この酒は自分のところの米で出来てると思うと、晩酌の酒の味も格別というものだよ」と頬をゆるめる。
富沢さんが田に引いている水は、日本名水百選の竜が窪から湧き出している水である。富沢さんはコシヒカリも生産している。作付面積は五百万石が3反5畝。コシヒカリが1町2反である。
コシヒカリと五百万石の組み合わせは実は農家にとってもメリットがあるのだという。
その理由はこうだ。五百万石は早生だ。9月には刈り入れ期を迎える。コシヒカリの刈り入れ適期はその後の10月だからちょうどいいのだ。価格的にも悪くない。おなじうるち米の早生では、コシヒカリの次に価格がいいのは五百万石だ。また、五百万石はイモチ病にも強く、コシヒカリよりも倒伏しにくい。つくり方もよくわかっている。何よりも愛着がある。
「米の値段は国の農政によっては、大きく変わる可能性があるから、いくらかでも付加価値をつけられる作物を確保しておいたほうがいいと思う。だから、五百万石はまだ作りつづけていくつもりですよ。米がだぶつくようになった時の用心にね」と富沢さん言うのである。
八海山の酒蔵には今年も津南の五百万石が届いた。

 
※文中に出てくる肩書き、年齢は当時のものです。
 
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井出耕也[インターネット・パイロット]

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