八海山のこだわり

No.10 酒母を造る(中編)

清酒八海山の仕込み水に使っている「雷電様の水」は、酒造りに向かないと言われる超軟水の水。しかし、淡麗辛口の味わいは、この水なくしては生まれない。

酒母造りに理想的な水とは?

酒母造りでも仕込み水の水質が鍵となります。

「どのような水で酒母を仕込むのか」

どんな酵母を使うのかということも、酒質に大きな影響がありますが、仕込み水の良し悪しも酵母の選択に負けず劣らずと言っていいほど、大変に重要な要素となるのです。良い水で仕込んでこそ、酵母の良さも生きるのです。
ところが、今でこそ新潟は酒どころと言われるようになりましたが、その評価が定着し始めたのは昭和も40年代に入ってからのことであって、そんなに古いことではありません。それ以前はむしろ、新潟は酒造りに向かないと言われ、せっかく造った酒も、田舎酒などと酷評されることも多かったのです。

そんなふうに言われた理由は単純ではありませんが、実は新潟の水の水質が大きく影響していました。新潟の水は軟水です。軟水というのはミネラル分が少ない水。口に含むと柔らかい感じがして、飲んでおいしい水です。ミネラル分というのはカルシウムやマグネシウムなどのことです。
ミネラル分が多い水は、どこかザラザラした感じがあって、あんまりおいしいと感じない人が多いと言われています。ところが酒母の仕込み水には、軟水と硬水のどちらが都合がいいかということになれば、それは硬水のほうなのです。

酒母の中には、酒造りに役立つ、元気のいい酵母がたくさん育っていなければなりません。そのためには十分な栄養が必要です。植物でもよく肥えた栄養たっぷりの土で育てれば、豊かな実りをもたらしてくれます。窒素、リン酸、カリウムが植物の三大栄養素と言われているのもそのためですが、酒母も同じことです。だから、酒母の栄養となるミネラル分を、たっぷりと含んだ硬水のほうが望ましいのです。

酒の命運を分けた水のミネラル分

ところが新潟の水は軟水でした。これは今も変わりません。軟水と硬水の区別はミネラル分の含有量で決まります。ミネラル分が少なければ硬度が低い、多ければ硬度が高いというわけですが、新潟の水は一般に2度から5度、八海醸造が使っている雷電様の水も2度ぐらいで、超軟水と言ってもいいほどです。
これに対して、仕込み水として名高い灘の宮水は硬度8度という硬水です。そして、この水を酒造りに使えたということが、江戸時代、灘の酒の評価を高くした原因のひとつだという人もいるくらいです。
酒造技術がまだ高くなかった江戸時代は、何よりも安全確実に酒を造るということが、酒蔵にとって最大の課題でした。いや、江戸時代ばかりではありません。明治時代から大正、昭和に入ってからも、酒造りに失敗することは少なくなかったのです。仕込んだ酒が酒にならないまま腐敗してしまう、腐造が珍しくありませんでした。

腐造の原因はひとつではありませんが、酒母の中の酵母がうまく育たないことが大きな原因のひとつになります。しかし、仕込み水に栄養豊富な硬水を使うことができれば、元気な酵母を育てやすいわけです。また、もろみの仕込み水にしても、やはりミネラル分が多いほうが失敗は少なくなります。
しかも、江戸時代から明治にかけては、酒屋が仕入れた原酒を水で割って販売するということが行われ、これを割り水と言っていましたが、硬水で仕込んだ酒は、割り水をしてもしっかりした酒の味が残るので、酒屋にとっても好都合でした。
ちなみに、これは昔の話ですが、飲んでもすぐに酔いが醒めてしまう酒のことを「ムラサメ」または「金魚ざけ」などと言いました。村を出たところで酔いが醒めてしまうほど、アルコール分が薄くなっている酒からです。今はアルコール分は厳密に決められていて、酒屋さんが勝手に割り水をするなどということはあり得ないことですが、昔は欲張りの酒屋さんもいたようです。

時代の変化と磨きぬかれた技で、軟水の良さを引き出す

新潟の酒が長い間、低い評価に甘んじていたのも、仕込み水に軟水を使わざるを得なかったからなのです。それに加えて、消費者から求められたのは、たっぷりと味が乗った酒。肉や脂肪分が少ない食事には、そういう酒のほうが合っていたということもありました。こういう酒造りにも硬水が好都合だったのです。
ところが、その後、時代が移り、食生活が変わるとともに、求められる酒も変わりました。淡麗辛口の酒が好まれるようになったのです。 八海醸造に限らず、新潟の酒蔵は苦しい時代の間も、何とかして良い酒を造ろうと必死に酒造りの技を磨いていました。ようやく、それが報われる時代になったのです。軟水という短所も、逆に長所となりました。
淡麗辛口の酒を造るには軟水のほうが向いています。軟水よりも硬水のほうが酒造りはやさしいことは、昔も今も変わりはありませんが、軟水の仕込み水を使った酒造りの難しさを、技を磨くことによって克服したのです。新潟の水の良さを引き出せるようになりました。

苦しい時代を知っている八海醸造の蔵人も、こう言います。
「おらとこのような超軟水が酒造りに向いているなんていうことはないですよ。向いてるか向いてないかと言われれば、向いてないと言うのが正しいでないかね。それでも、いろいろ工夫して、知恵も絞って、酒造りに向くようにしたこの水だからこそ、いい酒ができるようにしたというのが本当のところですよ」

その技のひとつが、実は、酒母の仕込み水の硬度の調整なのです。酒母の仕込み水だけは、超軟水をそのまま使うことはせず、ミネラル分を加えて硬水にしています。
と、これだけを聞くと、いかにも今風の工夫のように受け取られしまうかもしれませんが、古い時代の酒造りの教科書には、酒母の仕込み水に海水を加えてミネラル分を補強する方法も紹介されたりしていますから、むしろ、伝統的な酒造りの知恵を今も生かしていると言えるのではないでしょうか。
次回は、仕込み水に麹を加えて造る水麹のお話から始めます。

記 1999年  井出耕也[フリージャーナリスト]

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