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南雲和雄(故・先代社長)のことを少しお話しましょう。
和雄は酒造りが初めから好きだったわけではないと思います。東京農大の山岳部でしたから山登りもしたかったでしょう。本当は営林署に入るつもりだったようです。
でも自分があとを継がんけりゃならなくなって、入ってみるとウチが非常に貧乏で、山登りなんて言ってられるもんじゃない。ピタッとやめました。20年ぐらい、どこの山にも行かなかったんじゃないでしょうか。八海山はべつですけど。
農大山岳部の後輩たちが年に2、3回、谷川岳に行くときウチに来るんです。夏は酒の仕込みが休みですから、みんなで蔵人のふとんで寝て、蔵人の休み場所になっていました広敷で踊ったりして、そういうことが楽しみのようでした。農大山岳部の子たちは本当にいい人ばかりで、いまでも「新人が入りました」って挨拶に来てくれます。

 

 

酒造りについては、社長は酒蔵に入らんほうが良い酒ができる、という考えでした。自分が蔵に入ると経費の計算をする。良い米を使って、純度を高めるためにその米をどんどん磨(精米)けばカネがかかる、ということを先に計算してしまう。酒造りをもうけ主体で考えてしまいそうだから。そう言って、蔵にはあまり入りませんでした。

蔵に入らなかったのは、全幅の信頼が置ける杜氏に出会ったこともあります。それが高浜さんです(先代杜氏・春男氏)。
高浜さんに来てもらったのは昭和34年だったと思います。父(故・浩一氏)の代から酒造りをご指導頂いてました田中先生(故・哲郎氏)が連れてきてくださいました。先生は新潟県の醸造試験場におられて、その後国税の酒類の鑑定官をなさったかただと思いますが・・・、酒造りではそれはもう偉い先生でした。うちの酒がいまやらせて頂けているのは、先生のお蔭です。

 

 

父は、自分の伜みたいな歳の先生を尊敬してましたねえ。「先生は松尾様より偉い人だからみんな大事にしろ」って。松尾様というのはお酒の神様(京都・松尾大社)で、それより偉いというんだから大変です。
先生がうちにいらっしゃる日は、父は朝から待ってました。あのころまだ珍しかったコーヒーを朝から煮て待ってますの。先生はどうせ夕方か夜しかお見えにならないのに、そわそわして。コーヒー、煮すぎですよね。
和雄の代になっても変わらずお世話になりました。先生は酒がお好きで、強いんです。和雄と話をしながら晩の9時ごろから飲みなさって、朝の3時、4時が普通です。6時半ということが1回ありました。ふとんを敷いて先生に寝(やす)んでいただいて、後片付けを始めたらラジオ体操の音楽が流れてきました。
飲みながらの話はほとんど酒造りのことです。本当にもう、厭きずに延々と、ねえ。
その時、お給仕していました私は大切な事をたくさん教えていただきました。

おや、高浜さんのことをしゃべるつもりが田中先生のことばかり。次の回でゆっくりお話しましょう。

聞き手・文 宮本貢  写真 鈴木芳果
 

南雲 仁/なぐも・あい

八海醸造の先代社長、南雲和雄夫人。和雄社長を陰ながら支え、現在の蔵の礎を築いた。評判の手料理でたびたび来客をもてなしてきた。酒蔵で働く人びとからは親しみをこめて「おっかさま」と呼ばれている。

 

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