八海山のこだわり

酒蔵の「おっかさま」第1回

vol.1 昔話になりますが… 思い出深い酒造りの話をしましょうか

小さな蔵からのスタート

魚沼での生活に欠かせない魚野川の水

ここに嫁にきたころの話ですか?
嫁にきたのは昭和26年の5月、ハタチのときでした。ハタチまでに嫁の貰い手がなけりゃおおごとだったんです、昔は。
50年以上も昔ですからね、暮らしぶりはそれはもういまとはずいぶんちがいます。このあたりは、電気はありましたけどガスも水道もない。火は焚きもの(薪)で、酒造りも薪だったんじゃないでしょうか。
水は川の水でした。川の水が家の中にひいてあって、その水は家の前の池に落ちます。池の中にはコイがいて、茶碗洗って残飯なんか出ると、それが全部コイのエサになる。祝い事などで人が集まるとコイを料理します。どのお宅もたいがいそうでした。合理的でしたよ。
そうそう。東京へ行くと、ひねると水が出て、ひねると火がつくんだなんて、ビックリして話してましたっけ。
それと、雪。消雪(しょうせつ、※)。いちばんの違いはそれじゃないでしょうか。わたしの実家は、同じ新潟県でも海に近いところで、風が強い。風が雪を吹き飛ばすように降るんで、あまり積もりはしないんです。ここらは、ただしんしんと降る。えらく積もりました。
わたしども八海醸造もいまは年に3万石からの酒をつくっておりますが、わたしが嫁にまいりましたころは300石(1.8Lビンで3万本)足らずでしょうか。小千谷税務署の管内でも小さい蔵でした。

(※)道路に埋めたパイプから地下水をくみ上げて路面の雪を溶かす装置。新潟県内をはじめ、長野県北部から北陸地方など、雪の多い地域で広範囲に見られる。

思い出がいっぱいつまった手作業の数々

機械化が進んだビンのラベル貼り

人手も少なくて、結婚の披露が終わった翌日からすぐ仕事です。蔵人の食事の支度や、酒造りに使う木綿の漉し袋の繕いなどいろいろありました。夜なべ仕事です。 当時の仕事で一番印象深かったのはビン詰とレッテル貼りですね。ビン洗いから、お酒を詰めてレッテルを貼り、王冠(キャップ)を付けるのまで、当時は全部手でやってました。
ビン詰した酒は、そのころは鉄道の貨車で運んでおりました。駅までは、夏はオート三輪、冬になるとソリです。男の人が引き手と押し手の2人がかりで、4キロの道を駅まで1日2往復。北海道の雪は軽くて固くて、キュッキュッと音がするぐらいだから馬ソリが使えます。魚沼の雪は軟らかいんで、馬がぬかってだめなんです。ひと足踏み外すと、ズブーっとぬかるんです。
1台のソリに1升ビンを50本ずつ。それが5、6台から10台ぐらい。そこらじゅうすっぽり雪に埋もれた中を、隊列を組んで行くんです。大変な苦労仕事でしたが、いま思えば絵のようにロマンチックな光景でした。
たった50年の間に、世の中や、なにより自分の身のまわりがこんなにすごく変化したということに驚きます。思えば面白い時代に生きた、生かさしていただいたものです。
それもこれもまわりの人たちのお蔭でありまして、このうえない有り難い時間をすごさせていただきました。
もったいないことだと、しみじみ感謝しております。

聞き手・文 宮本貢  写真 鈴木芳果

南雲 仁/なぐも・あい

八海醸造の先代社長、南雲和雄夫人。和雄社長を陰ながら支え、現在の蔵の礎を築いた。評判の手料理でたびたび来客をもてなしてきた。酒蔵で働く人びとからは親しみをこめて「おっかさま」と呼ばれている。

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